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■米国で開花した天才
1856年にオーストリア帝国・スミリャン(現在のクロアチア)に生まれたニコラ・テスラは、1881年にチェコ・プラハ大学へと留学し、ハンガリーのブダペスト国営電信局に就職。働きながら交流電流方式を研究し、翌年パリで米ゼネラル・エレクトリック社のフランス法人であるコンチネンタル・エジソン社のエンジニアとなった。そこで誘導モーターの開発に取り組むも、ヨーロッパではこれに興味を抱く人がいなかったためアメリカに移住。エジソン電灯会社に採用され、交流方式の電力事業を提案するが、直流方式を推していたエジソンと対立して、わずか数カ月で退職。
その後、彼はテスラ電灯社を設立して交流電力事業を展開、1888年に「交流変圧電流モーターの新システム」という論文を発表し、米電子工学学会(IEEE)で公開実験を行うと、ウェスティング・ハウス社の目に留まり100万ドルの投資資金と特許使用料を獲得。ナイアガラの滝を利用したエドワード・ディーン・アダムズ発電所に、交流発電機を使った三相交流モーターが設置された。しかし、ウェスティング・ハウス社という組織に所属しながらの研究と発明に馴染めず、同社を翌年には離れている。
その後、テスラは1891年に100万ボルトまで昇圧できる高圧変圧器、通称「テスラコイル」を発明した。1893年には無線トランスミッターも発明。1898年には点火プラグの特許、無線操縦特許も取得している。1901年にJ. P. モルガンの支援でニューヨーク州ロングアイランド島ショアハムに高さ57mの無線送信塔(ウォーデンクリフ・タワー)の建設を開始したが、周波数が低かったため実用化しなかった。この時の実験の様子は、当時のトーキーというフィルムに収められている。