……ラディカルやなぁ。「文字を教えたって、どうせロクなものを読むのに使わん階層には、教えんでいい!」なんて、いま書いたらオープンレターが出てキャンセルされるだろう。ホガートの原著は英国で1957年刊だけど、そんな立場に理解を示して大丈夫だったんすかね。

しかし佐藤さんの叙述を追うと、ホガートがまさに、コロナ禍やウクライナ戦争が2020年代に浮上させた、一億総「亜インテリ」状態の危うさを見抜いていたことに気づく。

”より詰らない大衆娯楽に私が反対する最大の理由は、それが読者を「高級」にさせないからではなく、それが知的な性向をもっていない人びとがかれらなりの道をとおって賢くなるのを邪魔するからなのだ。”

個人的に消費される画一的な大衆文化は、かつて労働者階級がもっていた「より積極的な、より充実した、もっと協同で楽しむ種類の娯楽」を干し上げていく。よく人を楽しませる者が、そのことで一番自分も楽しむことができた「おれたちの世界」は、スターの代行作用で満足する「見物人の世界」に変わった、というのである。

自らもその一人である労働者階級出身の元奨学生の視線で、ホガートは「おれたちの世界」、すなわち労働者コミュニティの崩壊を見つめている。

197-8頁

なんといっても注目は、「スターの代行作用で満足する「見物人の世界」」だろう。本来、たとえ目に一丁字のない人でも、疫病や戦争など無関係ではいられない災厄に襲われたら、互いに話しあって自ら「これは何なんだ?」「いまどうすべきか?」を考えようとしたはずだ。

ところが今日のメディア環境では、そこにセンモンカと称する「スター」が登場し、代わって考えてあげるから黙って従いなさいと唱え始める。それまでまったく無名だった人でも、TVや新聞は毎日登場させて(または公的な機関がポストを与えて)、無理やり「スター」にでっち上げる。

結果として読者は自分で考える力を失い、その問題は「この見方で捉えなさい」、批判されても「この用語で論破しなさい」と、自称センモンカに与えられたフレーズをコピペするだけのBotになってしまう。皮肉なことに、それはリベラルな民主主義よりも、かつての全体主義の社会に似ている。