たった8人の派閥すらまともにまとめられていなかった森山裕を幹事長に。
神輿は担ぐ人の力量以上のものは担げません。岸破政権は自民党の大敗という形で終わりかけています。
おまけに高市から実権を奪いつつ石破内閣が倒れたときに共同責任を負わせようと総務会長にして封じようとして断られ、同じく保守系の主張の強い小林も連帯責任だけ負わせようと広報部長にしようとしてこちらも断れています。
総裁選では「処罰しないから」と他の議員を騙して石破に投票させたことも明らかになっています。
目先の派閥抗争を勝つためとは言え平気で嘘もつかせるようなクズ。それが岸田文雄ということだと思います。
2012年。民主党の下野が確実視されると、当時自民党総裁だった谷垣禎一を騙し討ちにして総裁選に出られなくさせ、代わりに石原伸晃を神輿に担ぐ事でキングメーカーとして党内に君臨しようと画策したのが古賀誠でした。
石原伸晃のあまりのアホな言動の数々にあっという間に票が逃げてしまって総裁選は安倍晋三が奇跡の返り咲きを果たしました。
自派閥の谷垣を騙し討ちにするという最悪の手を使った古賀誠はそれがために党内で孤立、派閥からは谷垣派も分裂。進退窮まって次の総選挙への出馬を取りやめ、表向きだけ政界引退の形を取りました。
岸田文雄が派閥会長を引き継いだ後も古賀誠は蠢いていましたが、岸田文雄が派閥内から古賀誠の影響を排除しました。
岸田文雄は総理になっても派閥会長のまま居座りました。
他の総理経験者ではありえないものでした。こうしたことも含めて、統一協会の件も不記載の件も謎の派閥解散にしても、全ては岸田文雄が党内で支配者になるために派閥抗争に悪用するためだったのだと一連の流れから改めて確信できます。
総裁選で石破が勝った瞬間から後の喜びを隠しきれない岸田文雄の笑顔もそうした事情から出てきたものなのだろうと思います。
目先の派閥抗争のためには一手先の事すら考えられない。