いやぁ、耳が痛い……っていうか、もっと痛くなるべき面々が大学教員しながらTwitterとかやってる気がしますが、おーい、聞いてるかぁ?(苦笑)。ちょっとは反省せぇよ。
それはともかく、日本はいつこの「大学進学率25%ライン」を越えたかというと、(短大も含めた場合)70年安保の全共闘運動の頃で……という話が、同誌でも続くのですが、再読して大事なことに気がつきました。
2018年の『知性は死なない』では、トッドらの知見も引用しつつ、ソ連崩壊やトランプによる「パクス・アメリカーナ放棄」、欧州での反EU世論の高まりを帝国の崩壊として論じました。共通の背景にはいわゆる反知性主義、すなわち理性偏重のエリート主義への反発があるとも(ソ連はエリート自身が放り出した点が、やや違いますが)。
対して日本の場合、「帝国の崩壊」という表現が最もあてはまるのはむろん1945年の敗戦ですが、当時は(よその国もだけど)大学教育を受けたエリート層が25%なんて、もちろんいない。
つまり近代国家として最大のトラウマを、高等教育が大衆化する以前に体験したことで、諸外国と比べても「いやいや。エリートの数さえ増えれば or 権限を彼らに委ねれば、うまくいく!」という幻想に弱いのかもしれない、日本人は。