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1. 人口論的少子化研究の限界

「異次元の少子化対策」

大著『勤勉革命』において歴史家ド・フリースは、出生率による人口変動に焦点を当てなかった理由を、「世帯の意思決定に関わる新たな世帯を形成する手段としての婚姻や消費と世帯収入の側面」(ド・フリース、2008=2021:267)に絞り込むことは「単純化」すぎるからだと論じている。

換言すれば、消費や世帯収入だけを使って出生率による人口変動を分析しても、その結果はたいして役に立たないというのである。

2023年1月の「異次元の少子化対策」論から始まり、それに関連づけたテーマを論じた膨大な著書や論文の大半が「財源論争」に明け暮れ、「世帯収入」に直結した「子育て支援金」の範囲と金額がマスコミでの議論の中心を占めた。

『人口ビジョン2100』も『こども未来戦略』も「異次元」に届かなかった

それから1年後に民間の「人口戦略会議」による『人口ビジョン2100 ー 安定的で、成長力のある「8000万人国家」へ 』が発表された(以下、『ビジョン2100』と略称)。

前年の12月22日には、閣議決定として『こども未来戦略』(以下、『戦略』と略称)も公表されていて、これで未曽有の少子化危機を受けた官民の「人口戦略」が出揃ったことになる。

両者ともどのような財源が可能かという問題と、子育て支援金がどこまで「世帯収入」を押し上げるかを軸とした政策案になったように思われる。

少子化研究のさまざまな論点

私もそれらに配慮しつつ、合計特殊出生率、年少人口数、年少人口率、小家族化などのデータ解析を軸とした「異次元の少子化研究」をこの1年間行ってきた(金子、2023a;2023b)。またアゴラにおいて、これらをテーマとしてネット論文の形式でも繰り返し小論を連載してきた(金子、2023c;2023d;2024a;2024b;2024c)。

それらの小論ではさまざまな論点を提出して、少子化の考え方、世代会計、短期・長期の処方箋、都市と過疎地での政策案、子育て基金の財源案などを網羅してきたが、意見の交流は数理マルクス経済学者の大西との「論争」だけに止まっている(大西、2024)。

そこで少し目先を変えて、現代に生きる若者に特有の「単身者本位」に焦点をおいて、この少子化の根本原因を考えてみたい。

単身者の急増

ド・フリースは17世紀からの北西ヨーロッパ史の研究に基づき、19世紀20世紀での「家族の紐帯の弱まり」に着目して、産業革命期以降のindustrialization(工業化または産業化)によって、家族が「目的を共有し、メンバーに忠誠を要求する能力が次第に失われていった」という学術的成果を支持している。同時にその延長で、現代社会が「家族の『非機能化』の最終段階である」ことにも同意した(ド・フリース、前掲書:269)。

たとえば所有や物質主義により道徳を含む文化的規範を喪失した社会では、そこに生きる個人は資本主義社会での疎外感を強め、個人消費にはまり、世帯は何の価値もない過去の遺物、世帯は自己実現を妨害する争いの場、とみなす傾向があるとされる。

このような文脈からみれば、家族の紐帯が弱くなれば、個別成員には家族からの遠心力が働き、一本立ちした「単身者本位」の行動様式が強くなる。

高学歴化が男女の職場進出を促す

ここでいわれる「勤勉革命」(industrious revolution)とは、世帯の構成メンバーが市場での労働により多くの時間を割くようになる現象をさす(同上:ⅳ)。

それを身につけた社会成員が多くなった時代では、少し一般化すると、高学歴化した未婚女性が職場に進出し、それまでは父親が唯一の稼ぎ手だった世帯内に複数の稼ぎ手が誕生する。もちろん未婚男性でも配偶者としての妻でも構わない。

ただしこれが「世帯経済」で一元化しているうちはいいが、次第に複数の収入が世帯共通の貯蓄や消費にまわされなくなると、世帯内での再分配の機能が減少してしまう(同上:288)。

ということは、高学歴化した子どもが働きだすと世帯内再分配がなくなることに直結してしまう。その結果、子どもが独立して、最終的には単身者として自立する反面で、世帯は縮小してしまう。小家族化が進行するのである。子ども本人が稼いだ分は、世帯のためではなく、個人的な支出のために自らが直接消費する。