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大逆事件で秋水が逮捕されるのは、連載の翌年だった1910年6月で、11年の1月に処刑。しかし明治で屈指の美文家だった彼の思想は、後に「ガチャの修正」を企図した昭和の国家社会主義にまで、隠れた影響を及ぼしてゆく。
メリトクラシー(能力主義)は近代社会のOSで、かつ一度インストールすると元には戻せない。つまり導入した以上「否定」はできないのだけど(できないからこそ)、つねに懐疑を持ちながらつきあい、こつこつデバッグし続けるしかない。
用語だけ現代風にしたけど、『それから』に滲むそうした精神を、明治以来の日本人は「批評」と呼んできた。だからそれは、世界のどこかで近代の諸矛盾を一掃する「答えはすでに出ている」と錯覚し、その導入に向けて「うおおおお!」とだけ叫ぶ幼稚な発想とは、まったくの別物である。
「極端主義」の時代: 文学が政治学よりも役に立つとき|Yonaha Jun
前回の記事の補足と、別の出演情報の紹介。先月に続き『創価新報』の10月号で、創価学会青年部長の西方光雄さんと対談しています。今回の(特に前半の)テーマは、いま世界的に見られる「中道政治の衰退」。
穏健な二大政党制の母国イギリスで政権交代したら、過激派が路上で移民排斥を唱えて暴動になり、知性ある民主主義の国フランスで...