明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与えた事がある。その時ただ貰った地面の御蔭で、今は非常な金満家になったものがある。けれどもこれは寧ろ天の与えた偶然である。父と兄の如きは、この自己にのみ幸福なる偶然を、人為的にかつ政略的に、暖室を造って、拵(こしら)え上げたんだろうと代助は鑑定していた。

新潮文庫版、127-8頁 (段落を改変)

俺は親ガチャで激レアなアタリを引いたけど、当のオヤジだって時代ガチャにあたっただけちゃうのん? というわけだ。そんな心境でいた代助の目の前に、学生のとき友人だった平岡と三千代の夫妻が転がり込む。

この2人、特に三千代は、ガチャにはずれている。銀行に勤め関西に赴任した平岡は、当時の常で芸者遊びに入れあげ、子分の部下には使い込みをやらかされて、クビになり東京に戻ってくる。三千代は生まれた子供を亡くした後、ストレスもあって心臓を壊し、夫婦仲は冷めている。

身分制度が崩れ、実力競争の世の中が来ると言われた明治維新に対して、いやいや「それから」実際どうなったんですか? おかしいんじゃないですか? と問うているのが、代助であり漱石なのだ。

はいあなた、いま「それあなたの感想ですよね?」って思ったでしょ?それが違うんだなァ(笑)。

なぜなら代助(の実家)に支援を求めるも、成果のない平岡は、当時は社会的地位の低かった新聞記者に転職する。そして、内心では三千代を奪うことに傾きつつある代助に、こんな話をする。

平岡はそれから、幸徳秋水と云う社会主義の人を、政府がどんなに恐れているかと云う事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人ずつ昼夜張番をしている。一時は天幕(テント)を張って、その中から覗っていた。

秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一見失いでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現われた、今神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では、秋水一人の為に月々百円使っている。 (中 略) 「やっぱり現代的滑稽の標本じゃないか」と平岡は先刻の批評を繰り返しながら、代助を挑んだ。