ただし書きの「急を要する」には当たらないと思われます。

「(策定委員会の)議論の中で読み取れること」というのは、策定委員会の終盤の議事要録を見ると喧々諤々だった様子がうかがえますが、この議論の中で直ちに実施するのではなく検討を尽くしてから実施すべき*5とする意思の下に給食費無償化に関する当該記述が採用されたということが委員会として確定的に示されたのか?というと、定かではありません。

ここは議論の余地があるかもしれませんが、「長期計画に根拠が無ければ市は政策を実施できない」という限定的な方針の下では、実施する選択肢が提示されてさえいれば実施可能にしないと身動きが取れなくなるのではないか?と思いますが、そこは武蔵野市の条例の運用の仕方、当事者たちの意思の問題なので、立ち入りません。

まとめ:松下玲子市長の功績はあるが「実現した」との間には距離があるのではないか?

まとめると、当時の松下玲子市長が長期計画・調整計画策定委員会に給食費無償化の提案をしてからその議論が行われるようになり、答申に記載されるようになったという起点としての功績があるとはいえます。 (※あくまでこの政策が正しいという立場から。政策自体への異論はあろうと思われます。)

ただし、それと「松下氏が実現した」との間にはかなりの距離があると言わざるを得ません。

松下市長の影響下での動きと言えるのは11月30日の「答申」までであり、答申を受けた後の翌年1月の長期計画の記載に関して関与した市長は形式上、小美濃氏 しかも、「検討する」という記述に留まっており、実施をする方向性がある程度定まっていてその可能性も高いと言えるようなものとは言えない 記載された経緯も、直ちに実施するのではなく検討を尽くしてから実施すべきとする意思を込めようと発言していた委員もみられた 給食費無償化を現実に実施するまでには予算や各所との調整が必要であり、既に市長を退いていた松下氏は実施環境を整備させることのできる立場ではなかった

退職していた松下氏の意向を受けて市長の小美濃氏が動いていた、という事情はあったのだろうか?彼は自公推薦であり、「松下側」は対立候補だったわけですから、俄には考えられない事態です。