神武東征が事実であることを暗示するエピソード
このほかにも、神武東征に事実が含まれていることを暗示する『日本書紀』のエピソードは数多くあります。代表的な例を3つほど紹介します。
【エピソード1】長浜浩明氏によれば、「浪速の渡を経て…」「まさに難波碕に就こうとするとき、早い潮流があって大変早く着いた」などは、紀元前後ならそういう地形が存在したとのこと。図8にあるように、当時は大阪平野の大部分は水面下にあり、その入口には細長い砂州があったようです。安本美典氏なども同様のことを指摘しています。
【エピソード2】邪馬台国が北部九州の筑後地方にあったとするなら、当時の日向は、邪馬台国最大級の植民市だったと思われます(後述予定)。神武東征が日向から出発した理由の一つは、新たな植民市の大和でも、スタッフやノウハウがそのまま活用できるからでしょう。
【エピソード3】神武天皇が大和に念願のミニ国家を打ち立てた後、近畿地方だけでは人が足りないため、邪馬台国のある北部九州から多くの人材を呼び寄せたようです。定着を促進するため、新しい土地には、愛着のある出身地や故郷の地名を付けた(図10)。これは戦国時代でも見られた風習で、主な論者は安本美典氏などです。
このように、『日本書紀』に書かれた神武東征と日本建国神話は、一字一句そのとおりだったとは言えないにしても、相当な部分は事実を反映していると考えてもよいのではないでしょうか。
現状では、歴史学による日本神話の分析は十分とは言えません。これは、聖書を科学的に分析する「聖書学」が既に学問として確立している欧米に比べると、極めて残念なことだと思います。