それでは、箸墓古墳と同時期に作られた古墳(1~10期で分類した場合の1期)は分かりますか。こうなると、知らない人がほとんどだと思います。なぜか、古墳の解説書にもあまり書いてありません。
私がデータベースにより調べた結果を墳長順で並べ換えたところ、所在地は次の図4のとおりとなりました(近畿地方は箸墓古墳のみ表示)。
赤字の★に注目してみてください。1位の大和の箸墓古墳(奈良県桜井市)が墳長278mと最大なのは当然ですが、2位は日向(宮崎市)の生目古墳3号墳の143mで、ほぼ同じ大きさの1号墳も130mあります。よって、当時は東征出発地である日向が非常に重要視されていたことは明らかです。
それだけではなく、神武東征の寄港地だった宇沙、岡田宮、高島宮にもすべて50m以上の大規模な前方後円墳があります。これ以外の1期で50m以上の古墳は、4位の石塚山古墳と5位の久里双水古墳だけです。
なお、残りの安岐国・多祁理宮(広島市付近)ですが、やや規模は小さいものの、墳長35m(2期)の前方後円墳である宇那木山2号墳があります。
このように、神武東征の寄港地だったほぼすべての場所では、古墳時代の開始とほぼ同時に、大和朝廷の象徴である大規模古墳が建造されているのです。これだけ一致しているなら、どう考えても偶然とは言えないでしょう。
つまり、神武東征は、ある程度は事実を反映していると考えられます。たとえ、一字一句『日本書紀』に書いてあるとおりではないとしても……。正直、最初にこれを発見したときには非常に驚きました。
イネのDNAでも裏付けられた神武東征神武東征は、前回説明したイネのDNAでも確認できるようです。
神武東征の出発地とされる日向のイネのDNA(RM1)は、日本では珍しい「c」というタイプ。『日本書紀』によれば、神武天皇の寄港地のうち、なぜか吉備の高島宮だけは3年間という長期間滞在し、食料を確保し軍備を整えたとされます。