インドネシアの首都ジャカルタがあるジャワ島。この島の中部と東部には主にジャワ人が住んでいる。多民族国家のこの国で、ジャワ人は人口9千万人と最大民族となっており、非常に独特な民族性やものの考え方を持っていることが知られている。その根底には神秘思想があり、数秘術的に”数”に深い意味をもたせたり、聖地や王宮の立地は”レイライン”的な方法論で決めたりと、その影響は歴代大統領にもみられる。今回はそんなジャワ人の神秘思想を紹介する。
■「27」の数字
ジャワ人たちの独特な思想・宗教については、過去にもトカナで紹介している。例えば、ジャワ人やバリ人たちが恐れ敬う「南海の女王」、ジャワ島の海を支配する女神ラトゥ・キドゥルにまつわる逸話だ。初代大統領スカルノ、第2代スハルトなど、歴代大統領の多くはこの南海の女王への信仰を持っていた。
1993年1月20日、バリ島サヌールにある国営のホテル・バリビーチ(現在は「イナ・グランド・バリビーチホテル」に改称)で火災が発生し、ほとんどの建物は焼けてしまった。だが、ある霊能者を介して南海の女王が所望の意思を伝えていた10階建てビルの327号室とコテージの2401号室だけは、奇跡的に残ったというのである。
実は、「327号室」に含まれる「27」という数字こそが、インドネシアという国にとって数秘学的に重要な意味を持つ。この国では歴代大統領にも神秘主義志向の要素が見られるが、初代スカルノや第2代スハルトも同様で、この「27」という数字を好んで使用していた節がある。
ジャワ人を含むインドネシア人たちが、どれだけ「数の神秘」を好むのかという良い例が、首都ジャカルタに建つ「モナス」(MONAS、独立記念塔)にある。モナスは首都のムルデカ(独立)広場にそびえる国家独立の記念塔だが、高さが17mで、これは独立宣言を行った「1945年8月17日」にちなんでいる。また、塔の台座となる基部の縦横の幅が45mであり、これも独立を果たした1945年の「45」を意味している。
■スカルノ初代大統領
インドネシアでは、指導者が政治的手腕だけでなく、神秘的能力を兼ね備えていることを国民が望んでいる節がある。初代大統領となったスカルノは、7歳のころには千里眼の能力を持ち、干ばつのバリ島を訪れた際には雨を呼び寄せる力を見せたという。同国の作家モクタル・ルビスによれば、スカルノはどこまでが政治的な指導者で、どこまでが「ドゥクン」(呪術師)なのか見極めるのが困難な大統領の典型例だったという。
1901年に生まれたスカルノは、26歳の1927年7月4日に、インドネシア国民連盟を結成。その後にインドネシア国民党(PNI)と改称した。まず、この結成年に「27」の数字が見られるが、これはたまたまそうなったのかもしれない。翌年の1928年10月27日に、インドネシア生年会議を開催し、そこで民族主義運動の頂点だった「青年の誓い」が採択されたが、この日付にも「27」が含まれている。
月日が流れ、1945年に日本が第二次大戦で敗戦すると、独立を宣言したインドネシア共和国と、これを認めず再植民地化に乗り出したオランダとの間で独立戦争が発生し、4年5カ月間も続いた。最終的に、1949年12月27日、ハーグで開催されたオランダ―インドネシア円卓会議が開催され、オランダのユリアナ女王がインドネシアに主権を完全に譲渡した。ここでも「27」の数字が見られる。インドネシアは1945年8月17日に独立宣言を行ったが、その後1975年に東ティモールを併合し、州の数が27となった。
スカルノは、バリ島の火災に遭った国営ホテル・バリビーチの327号室を好んで宿泊したというが、それはこの部屋に「27」の数字が含まれていたために好んだのかもしれない。
では、なぜ「27」の数字にこだわったのか? その理由は明らかではないが、27は3の3乗であるといったことに、何らかの神秘的な意味を込めているのかもしれない。