マスコミは第四の権力と呼ばれ、立法、行政、 司法と同等の力がある。

スクープだけでなく、世論調査の結果を報道するだけで、権力者に直接影響を与えられる。ナラティブもまたマスコミによって個人の語りを超えて、政治を動かしてきたのは前述した。報道が市民に世論喚起を行い、政治家が世論に沿うように政策を修正するのだ。

政治家が政策を修正するのは、法や道徳に反しているとマスコミが声高に叫んで彼らの正当性を問うからだ。この10余年の間に原発ムラ、被曝と鼻血、アベ政治、モリカケ桜、接点、ズブズブ、裏金などといった誰かが使い始めたキーワードがマスコミによって発信され、印象だけが一人歩きして政治を左右した。そしてマスコミは、これらの真偽を議論することまで悪であるかのように振る舞った。

もちろん被害者が語るナラティブもだ。古くから記者やディレクターが語り手を捏造する手法が使われたり、読者投稿欄でナラティブを語らせたり操作してきたのがマスコミだ。

ナラティブが政治と社会を変えるきっかけになる以上、取り上げるマスコミだけでなく語り手も相応の責任負う。弱者や被害者が声を届けられるようにするため、彼らは守られなければならないが、ナラティブの内容は検証や批評の俎上にあげる必要がある。課題は、プライバシーと密接に結びついたナラティブを検証し批判する仕組みや、検証が攻撃や嫌がらせではなく正常な手続きであるとする合意が我々の社会にはない点だ。

だからマスコミは特権的な語り手を作り出して、ナラティブを重用する。社会的に失うものが何も無い人を「無敵の人」と呼ぶが、マスコミと結びついた語り手も権力そのものとなって無敵の人になる。

問答無用なノーディベートを当然とし、特権的な語り手をつくる人々と、特権的な語り手であろうとする人々が無敵さにこだわっているのだ。

編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2024年10月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。