私は独自に信者家庭の子弟を探した甲斐があり、信仰を継承している人、継承していない人、さらに考え方の違う人々から聞き取りができた。するとマスコミで語られたナラティブが、嘘か誠かといった単純な話では済まないのがわかった。
2世問題は、宗教が関係していたとしても家庭の問題として扱うべきものや、子供または親そのものに原因があるケースも少なくなかった。ナラティブを語る者も、その内容も、意図も、多種多様だったのだ。
旧統一教会信者家庭に生まれ信仰を継承していない男性は、「親への不満、自分が社会にうまく溶け込めない理由、挫折などを、2世たちは宗教のせいではないかと考えがちだ。
こうした不満を、マスコミが刺激して虐待されたと語る証言が増えたのではないかと感じる」と自らの体験を振り返った。また、資産を目当てにして親や他の兄弟と仲違いをしている例があり、2世が親を禁治産者扱いしている家庭についての証言もあった。
消費者庁に寄せられた相談は高齢信者に対してのものが多く、しかも献金額をまったく把握していないケースが大多数だったことからも、相続がらみの事情が背景にあるのは間違いないだろう。暗殺犯山上も5千万円返金されていたにもかかわらず、X以前のTwitterで母親の資産にこだわって繰り返し発言していた。
もちろんナラティブには事実もある。だがそれを確かめるため、宗教からの被害を訴える子弟らに「それは宗教の問題ですか。それとも家庭の問題ですか」と問おうとすれば、「壺」「ズブズブ」と声高に批判されたのは記憶に新しい。
そして前記した多様な子弟からの、多様な語りは無視されるか排除され、後に語り出す者が現れると攻撃され、ナラティブを世に問うことさえ難しかったのである。
ナラティブと公益性と刑事告訴個人のつぶやきなら別だが、社会を変革する願望を抱え、このために運動を起こすなら言動に公益性が問われる。公益性とは「広く世人を益すること」なので、さまざまな人から、さまざまに質問され、さまざまな検証が行われ、さまざまな意見が寄せられて当然だ。これを加害と切り捨て、賛同者だけの意見を正義と位置付ければ、摩擦が発生するどころか社会が分断されないほうがおかしい。