前述の痴漢被害、被曝と体調不良、信者子弟問題のすべてで摩擦が発生している。直近では、被害を訴える2世女性の証言を、旧統一教会信者ではない人物が事実と異なるのではないかと発言し、刑事告訴される出来事があった。

この人物は、旧統一教会報道から関係者の談話まで網羅的に検証して、マスコミの姿勢が一方的な点や、意見を述べ合う機会が平等に用意されないのを問題視するに至った。この過程で、2世女性の証言が公益性を問われるべきものと判断したのだ。

疑いをかけた内容だけでなく、投稿時の言葉遣いなどもからむ問題であるし、私は余人より事情を知っているとはいえ事実がどこにあるか断定するだけの知見がないので、刑事告訴そのものについて触れようとは思わない。だが前述したように一部の信者子弟のナラティブだけが絶対視され、批判どころか検証を許されないなかでの、異議申し立てだったのは指摘しておきたい。

この分野は福田ますみ氏の取材がもっとも詳しく信頼できる。前述した2世女性が語る内容について検証し、証言通りでないものがあると指摘したのが福田氏だった。この女性は家族だけでなく、他の人々も強い言葉遣いで批判している。

こうした発言はつぶやきや愚痴といった類のものではなく、世の中への問いかけであり、社会変革のためにメディアや自著のなかで行われたので、公益性が問われ福田氏によって検証されたのだ。なお私が知る限り、女性は検証に対して反論していない。

第四の権力マスコミと語り手の責任

旧統一教会をめぐっては「議論自体が悪である」とノーディベートの姿勢が貫かれた。一方的なナラティブと一方的な報道が善と悪を決めたのだ。裁判に例えるなら、公判が開かれる前にいきなり極刑が言い渡されたようなものである。前述の人物は、こうした状態を憂慮していたのだ。

ノーディベートの姿勢を貫き、検証も議論も封じ、マスコミを独占的に使い主張を拡散できる者が、絶対的な正義に位置付けられてしまうのは旧統一教会問題に限った話ではない。