2019年は、今でも多くの人を魅了して止まないアポロ計画の月面着陸から50周年という節目を迎えます。ふるきをたずねて新しきを知る。政府主導の宇宙開発から民間による宇宙ビジネスも成長しつつある昨今、宙畑ではアポロ計画を現代の視点から振り返ってみたいと思います。
アポロ計画とは?計画名の由来は?
人類初の有人月面着陸を実現したミッション、それがNASAの「アポロ計画」です。1961年から1972年、NASAは計6回の有人月面着陸を成功させました。なかでも頻繁に注目されるのが、火災事故で3人の宇宙飛行士が地上で亡くなったアポロ1号、初めて地球の姿を宇宙から撮影することに成功したアポロ8号、人類が初めて月面着陸したアポロ11号、宇宙船の爆発事故により月面着陸せずに帰還したアポロ13号です。
アポロ計画命名の親はNASAのエイブ・シルバースタイン博士でした。ある日、「黄金の馬車に乗って大空をかけ、毎日太陽を所定の場所に牽引するアポロの姿」をギリシア神話の本で見て、ミッション名を決めたと言います。
アポロ計画の背景と本当の目的~ソ連とアメリカの関係~
第二次世界大戦後の1945年以降、戦争は終結したものの、資本主義・自由主義を掲げるアメリカと共産主義・社会主義を標榜するソ連は対立し、冷戦が続いていました。1955年に始まり1975年まで続いたベトナム戦争も、泥沼化したアメリカとソ連の代理戦争と言われています。その冷戦をさらに刺激した大きな出来事に「スプ―トニク・ショック」がありました。1957年10月4日、ソ連が世界初の人工衛星「スプ―トニク」を宇宙に打ち上げたのです。それまで自国が宇宙開発の最先端であると考えていたアメリカは、技術開発の遅れに国防の脅威を感じました。やがて冷戦の闘いは宇宙の覇権争いへと昇華し、宇宙開発競争が勃発。どのようにしたら技術開発でソ連に圧勝し、力を見せつけることができるのか?その答えがアメリカ人を月に送り地球に帰還させること、つまり「アポロ計画」だったのです。
ベトナム戦争も進むなか、アポロ計画の勢いに拍車を掛けたジョン・F・ケネディ大統領の演説が2つあると言われています。第一に、1960年代までに有人月探査計画を実現することを宣言した、政府関係者に対する演説です。1961年5月25日、ケネディ大統領は予算獲得に本腰を入れるため、上下両院合同議会で「国家的緊急課題に関する特別議会演説」と題した演説を行いました。第二に、1962年9月12日に国民へ向けて行われた“We choose to go to the moon(我々は、月に行くことを決めました)”のくだりで有名な一般演説です。会場であるライス大学のライス・スタジアムは大歓声に包まれました。しかし、ケネディ大統領が暗殺されたのは、そのわずか1年後のことでした…。
現在、アメリカフロリダ州にあるケネディ・スペース・センターの入り口には、ケネディ大統領の一般演説での言葉が引用されている碑が建っています。
“For the eyes of the world now look into space, to the moon and to the planets beyond, and we have vowed that we shall not see it governed by a hostile flag of conquest, but by a banner of freedom and peace.”
「世界が宇宙、月、そして遥かな惑星へとのぞむ今、私たちは宇宙が敵対的な征服の旗ではなく、自由と平和の旗印によって統治されることを誓います。」
アポロ計画の偉大さと本当の目的は、戦争や醜い闘いに向いていたエネルギーを別の方向に向けようとした、ケネディ大統領含め、多くの人の知恵と世界平和の希求にあったのかもしれません。