その帰結として、いまや発達障害なら「別に今から人の気持ちがわかるようにならなくてもいい」とまで、公言する識者もいる。前から注意を促してきたとおり、普通はそれってマズいと思うけど、うかつに注意して「私に〈家畜〉になれというのか。ハラスメントガー!!」と噛みつかれたら大変だから、周りの人は手を出さない。
目下、話題の「『キモいと罵倒する権利』を公言する倫理学の准教授」にしても、そうした一連の流れが産み落としたもので、突然変異で湧いて出たのではない。従来なら、自ずと相手にされなくなったろう主張でも、もし「進化」の方向そのものが逆転すれば、大目に見てもいられなくなる。
Unfriendlyな個体は長らく、自然や社会に淘汰されてきたのだろうけど、彼らが「無双」しやすい空間がデジタル化で生まれてしまった。リアルな世界で生きづらさを抱えた人たちは、逆説ながら他人の気持ちがわからない面々こそを教祖と仰ぎ、Hallelujahの代わりに「うおおおお!」と信仰の叫びを今日も上げている。