ヒトは乳幼児のころから、親がなにかを指さしたら「親の指」そのものでなく「指す方向」に視線を向ける――「心の理論」に基づき相手の内面を推察して行動するが、これができる動物は意外に少ない。たとえばイヌはできるけど、キツネは基本できない。
しかしヘアとウッズによれば、人が抱いても噛みつかない Friendlyなキツネの個体だけを選抜して何世代も交配させると、やがて人のジェスチャーを読みとって餌を見つけられるようになる。動物に〈家畜化〉とは一見失礼だけど、実際には生存に有利なのだ。だから彼らの著書の原題は、Survival of the Friendliest である。
今日の問題は、こうした自然の摂理に反する方向へと、ヒトが「進化」の向かう先を転じつつあることだ。さっきの私の発言を続けると――
つまり「接触」や「対面」を通じて、互いに穏健化し、協力し合ってゆくのが人類史のコースだった。しかしそれが今、〝真逆の方向〟に反転しつつあります。
ITの発展により「触れ合わなくてもモノだけ届く」環境が自明視され、2020年来のコロナ禍はその風潮を加速させました。顔を突き合わせて話せば落としどころが見つかる話題でも、リモートのまま極論をぶつけ合い、怒りを募らせる人が増えています。
たとえば最近のTVやSNSで、どんなヒトが人気者になっているかを見てほしい。会話相手の話を聞かない、まして批判はシカトする、言葉や態度で「あなたなんて私にはどうでもいい」と示す、炎上しても自慢のタネとしか思わない。そんな個体ばかりだ。
特定のメンタルの「病名」を、キラキラさせるのはもうやめよう。|Yonaha Jun
今年の2月に「「発達障害バブル」はなにを残したのか」という記事を書いた。2015年頃から流行してきた、精神疾患の中でも発達障害だけは「ギフテッド」(恵まれた特性)で、特殊な才能と一体なのだといった論調に、警鐘を鳴らす内容である。
いわゆる日本社会の「同調圧力の強さ」に対して、いやいや、自分の個性を認めてくださいよと...