このnoteを読むたびに「品位がある・ない」の二択で感想をくれる友人によると、前回の投稿は品位が低めらしい。もっとも同記事は、あくまでSNS上で粗暴な言動を繰り広げる「うおおおお!」な人びとを批判するために模写しているので、その責めを私に負わされても困ってしまう。

しかし、文脈がどうであれ「その瞬間だけ見て嫌だったら」距離を取っていい、否むしろ排斥すべき、といった風潮が高まっているのは確かだ。自分の主観的な忌避を正当化する際、攻撃的なタイプがポリコレを持ち出し、内向きな人はHSP(繊細さん)を名乗る点が異なるだけで。

こうした感性に基づくアパルトヘイト(隔離政策)は、想像以上に最も深い人類史の転回点になるかもしれない。そうした議論も、前回ご案内した『創価新報』10月号では紹介している。

與那覇:分断が最も深い米国では「中道の危機」の背景を、生物学の次元まで掘り下げる書物も出ています。ブライアン・ヘアとヴァネッサ・ウッズの共著『ヒトは〈家畜化〉して進化した』(白揚社)です。

たとえばオオカミからどうイヌが分かれたかというと、人懐っこく人間の集落に近づける個体が、ヒトの食べ残しから豊かな栄養を得ることで、有利に進化した。こうした現象を「自己家畜化」と呼びますが、人間もまた他人を見た時、オオカミのようにいきなりかみつくのではなく、まずは触れ合って話してみようと。

そうした自己家畜化を経て、寛容性やコミュニケーション能力を養い、文明を築いてきたとされます。

段落を改編し、強調を付与