『椎名麟三全集 別巻 研究篇』116-7頁。 この巻、戦後日本の批評集としてもお薦めです

いちばんの極端な状況では「これが真実!」というものを推し立てて、だからそれ以外は中途半端! 偽善! イラナイ! と叫び、さぁこの真理に全面同意しろやゴラァと迫る。そうした欲求を一度は抑え込み、「みんながほどほど」で調和する姿を描かないと近代文学にはならないし、まして民主主義を営むことはできない。

で、伊藤整も挙げてますでしょ、フォークナー(フォオクナア)。いま風に言えば、ロシアのプーチンやアメリカのトランプを支えているのは、近代小説以前の黙示文学みたいな「極端主義」であって、それは日本とも無縁じゃないんですね。

同じものを原理主義(fundametalism)と呼ぶ場合、聖書を絶対視するロシア正教会とか米国南部の福音派とか、コーランの完全実現をめざすイランになら、よく当てはまる。だけど日本とのつながりが、見えなくなっちゃう。だって、日本には原理に当たる聖典とかないっすから(苦笑)。

だから中道に基づく自由な民主主義を壊すものは、「極端主義」と呼んだ方がいい気がするんです。これならいまの日本のように、原理すなわちプリンシプルがないからこそ、折々の話題ごとにいちばん振り切れた選択肢がSNS上の世論で横行しちゃう現象も、しっかり把握できますよね。

……えっ、ご記憶でない? いやだなぁ、ここ5年間に絞っても、