2か所に出てくる「極端主義」(extremism)という表現、最近あんま使わないけど大事だと思うんです。もとは1949年11月の『文藝』に載った、伊藤整の評論「戦後文学の偏向」にインスパイアされまして、ってかまぁパクリかな(笑)。
敗戦からまだ4年で、GHQによる占領の最中ですから、当時の文壇では戦場・貧困・飢餓……のような「極限状況」を舞台に、これが裸の人間の本質だ! みたいな筆致で読者に突きつける実存主義の作風が主流だった。しかし、そこに危うさはないのか? という問いを、伊藤は提起しました。
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前にも書いたことがあるけど、うつから回復する際に共感を持って読んで以来、椎名麟三という作家が好きである。いま読む人はそう多くないが、敗戦直後の焼け跡の日本で、実存主義の旗手とされた人だ。
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〔太宰治や椎名麟三などの〕これ等のエキストリミズムは、そのままファナチズムになるとは言われないが、大体ロシアから東にあるものであって、専制政治の反映、または残存的映像である。アメリカでは大体フォオクナアなどの扱っている白人対黒人の存在意識に現われるところのものである。 (中 略) 他人をも自己をも許しながら破らない生活、つまり宥和的な生活、市民的な生活、悪く言えばキリスト教の暗示する二重的、仮面的な生存を、やむ得ないとする生活。そういうものの上に方法を置かなければ、この日本的エキストリミズムは復活して我々を食ってしまう。 (中 略) ドストエフスキイとトルストイに対してチェエホフの行ったものが、そういう〔極端主義を抑制する〕意味で近代の開始であった。自然主義者に対して漱石の行ったものがそれであった。