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軽オート三輪から軽4輪貨物への過渡期に生まれた初代サンバー

軽オート三輪から軽4輪貨物への過渡期に生まれた初代サンバー

スバル360の富士重工が作った画期的なフルキャブオーバー軽貨物!初代サンバーの登場した時代背景に注目!
(画像=初代スバル サンバー トラック,『MOBY』より 引用)

現在はダイハツ ハイゼットのOEM供給で細々と販売が続いている軽商用車(1BOX車・トラック)のスバル サンバーですが、2012年に販売終了した6代目まではSUBARU(昔は「富士重工)の独自生産車でした。

軽乗用車事業の慢性的な不振、軽商用車も市場の縮小で単独では採算が合わない状態だったところ、2005年に富士重工がトヨタの傘下入りした後、体質改善のため収益優先で軽自動車の工場を普通車用に転換、サンバーも自社独自生産の歴史を終えます。

しかし軽運送業「赤帽」で採用されていた実績や、他の軽商用車とは異なる構造など独自性などからスバルオリジナル・サンバーのファンはその後も多く、生産終了まで一貫して「スバルの重要な看板車種」であり続けました。

そのサンバーは初代モデル登場が1961年、富士重工が四輪車事業へ参入した第1号車、スバル360の発売から3年経っており、軽商用車市場でもだいぶ後発です。

当時の自動車メーカーは、トヨタや日産といった戦前から乗用車を作っていた名門の中でもそれなりに大資本、あるいはダイハツやマツダのように戦前から小型オート3輪の名門メーカーで、戦後も商用車で強みを発揮したメーカー以外、同時複数車種の開発は困難。

いすゞや日野など、戦前・戦中組のトラックメーカーも海外(いすゞは英ルーツ・グループ、日野は仏ルノー、他に日産が英オースチン)からの技術移転から純国産車の開発・生産には苦労し、自動車メーカーとしては駆け出しの富士重工も一気に車種拡大はできません。

富士産業(旧・中島飛行機)や、三菱のような旧財閥系の企業は、まず民生用のスクーター(富士のラビットや三菱のシルバーピジョン)で2輪へ、そこから富士は2輪メーカーとして「ハリケーン」などを作り、三菱は「みずしま」ブランドでオート三輪へ参入。

1950年代末から1960年前後にかけては富士も三菱も4輪車へ参入しますが、富士産業の一部が財閥解体後に一部結集した富士重工は、オート3輪を経ずに2輪メーカーから一気に4輪へと参入しました。

ちなみに1958年のスバル360発売から、1961年の初代サンバー発売までのあたりは、トヨペットSKB(後のトヨエース)など、安価な小型4輪トラックに市場を奪われたオート3輪メーカーが、自身も小型4輪トラックを作りながら軽オート3輪へ活路を見出していた頃。

あくまで簡便な軽オート3輪か、より実用性の高い軽4輪が併売されている時期で、2輪部門を縮小していたスバルにとっては、軽4輪に自動車部門の命運がかかっていました。