エレバス号の船長はジェームズ・フィッツジェームズ大尉です。
彼は、この遠征隊の総指揮官であるジョン・フランクリン海軍大佐の下で、エレバス号の運営や指揮を担当していました。
またテラー号の船長は、フランクリン遠征隊の副指揮官であるフランシス・クロージャー大佐でした。
これら経験豊富な指揮官と多くの隊員たちによる遠征は、希望に満ちたものでしたが、彼らを迎えたのは壮絶な結果でした。
なんと1846年、2隻の船は、キングウィリアム島付近の海域で氷に囲まれ、身動きが取れなくなってしまったのです。
船を動かすことができないまま、年月が過ぎ、彼らは2隻の船を放棄せざるをえませんでした。
そして1847年には、総指揮官フランクリンが死亡。
フィッツジェームズ大尉やクロージャー大佐を含む129人の消息は途絶えました。
後にフランクリン遠征隊の捜索が行われ、これまでに様々な遺物が発見されてきました。
例えば、それらの中には、キングウィリアム島で発見された「フィッツジェームズ大尉とクロージャー大佐によって残された報告書」や、隊員のものと思われる衣服、墓、人骨などが含まれます。
2014年と2016年には、エレバス号とテラー号の残骸もそれぞれ発見されています。
では、これらの遺物から当時の隊員たちの様子についてどのようなことが分るでしょうか。
最近、スタントン氏ら研究チームは、人骨に加えられた傷やDNAを解析することで、彼らの壮絶な最後を明らかにすることができました。
DNA判定により、「フィッツジェームズ船長の人肉は隊員たちに食べられていた」と判明
フランクリン遠征隊の隊員たちは、氷に閉じ込められた船を後にし、北極圏からの脱出を試みました。