まだフルタイム4WDなんて珍しかった1980年代半ば
自動車におけるAWD(全輪駆動・4輪駆動とは限らない)の波は戦前からあり、初期には軍用車両や悪路走破性を求められる車両に、やがてバスやトラックなど民生用にも普及しますが、乗用車用は高価すぎたフルタイム4WD車、ジェンセン FF(1966年)などごくわずか。
スバルが初代レオーネにパートタイム4WDシステムを組み込んで(1972年)海外ラリーなどでも乗用車ベース4WDの波が始まり、日本国内では積雪・凍結路で頼りになるとして1980年代はじめには軽自動車まで普及が進みました。
ただ、ジェンセン FFを除けば「乗用車型ジープ」的なもので、アメリカでクロスオーバーSUVの始祖ともされるイーグル AMCもありましたが、あくまで「快適なジープ」の域を出ません。
しかし、1981年にアウディがフルタイム4WDの「クワトロ」をWRCに参戦させ、「4WDは強力なパワーユニットとの組み合わせで速さにもつながる」と認識されると、そこにジープ的なパートタイム4WDが増えていた日本が反応します。
1985年にはマツダ ファミリア(6代目BF)に1.6リッターDOHCターボ+4WD版が登場、WRCのスウエッディシュラリーで優勝し「雪の女王」と呼ばれ、国産4WD乗用車の元祖、スバルも1986年にはレオーネにフルタイム4WD車を追加。
とくにファミリア4WDは小排気量の1.6リッターターボながら大活躍するわけですが、それならアウディやランチアのように2リッター級4WDターボなら…A70スープラのグループAラリーマシンで苦戦していたトヨタが、そう考えたのは不思議ではありません。