ただ、靖国神社みたいな問題は短期的に「損とかトクとか」で考えるべきではない、という意思が彼らにはあるんだと思いますし、それはなかなか否定できるものでもないなと思うんですよね。

というのは、「欧米が人類社会のほんの一部に転落していく時代にそれでも欧米的理想を広く共有する」ためには、「欧米に征服”された”側の”意地”や”メンツ”の部分がいかに否定されないストーリーテリングができるか」がものすごく重要になってくるからです。

ただしこれは旧軍はどこ行っても品行方正だったと言い張るとか、アジアの人に「自分たちのお陰で独立できましたよね感謝してください」と言って回るという話とは全然違うんですよ。

そうじゃなくてもっと本質的な意味で、例えば古事記とか日本書紀みたいな世界で、「征服された側がもともと祀っていた神々が、なんかヤマト王権の親戚みたいなものにされていく」みたいなプロセス(笑)が必要なんですね。

「あらゆる民族に共通の欧米的理想を受け入れてもらう」時に、「その理想に反対しているわけじゃないがこっちにも意地ってもんがある」みたいなゾーンの感情をいかに内側に取り込めるかがものすごい重要な時代になってきてるんですよ。

そしてそういう部分は、日本人にも韓国人にもベトナム人にも・・・ととにかくあらゆる民族が持っている。

たとえば左翼的な韓国人が、北朝鮮との融和姿勢を「反政府的な立場の人をマシンガンで銃殺するような、あんな非人間的な独裁国家に対して少しでも情をかけるなんて、人権を理解しない劣等民族と言われてもしかたないんじゃないですか」とか言われたら、やはりカチンと来ると思うんですよね。

「単一の正しさ」だけですべてを語れると思うなよ!ってなるでしょう。

そういう感じで、「絶対善としての欧米秩序とその”敵”」みたいな世界観が隠し持つ帝国主義性がサステナブルでなくなっていく時代に、それでも欧米的な理想とシステムが吹き飛んでしまわないためには、「被征服者側の意地」をいかに取り込めるかが重要になってくるんですよ。