なぜ『フクシマ型PTSD』という命名が不適切か、これで説明は十分だろう。
新型コロナ肺炎は一時期「武漢肺炎」と呼ばれたが、WHOの勧告通り病名はCOVID-19、ウイルス名はSARS-CoV-2と呼称され、俗称としても武漢は使用されなくなった。辻内氏がフクシマ型PTSDを使用し続けるのは、COVID-19を相変わらず武漢肺炎と呼び続けるのに等しい。そして、こうした差別的な姿勢で福島県と県民に臨むのが辻内琢也氏の基本姿勢と言ってよいだろう。
さらに三和書籍は、COVID-19関連の書籍に武漢肺炎とタイトル付けするような真似を、福島県に対して行ったのだ。
早稲田大学の倫理観研究者には学問の自由があり、言論の自由が保証されているが、無条件であるわけではなく公共の福祉に反するものは規制される。公共の福祉とは、たとえば侮辱、名誉毀損、非人道的行為など他の人の人権にまつわる事柄だ。
これらを鑑みたとき、辻内琢也氏によるフクシマ型PTSDという命名は倫理的に問題を抱え、学問の自由や言論の自由があるからといって野放図に使用されてよいものではない。むしろ、撤回されるべき名称である。 では、コンプライアンスから逸脱した辻内琢也氏の研究で人権を傷つけられた人々が、人権を回復させるにはどうすればよいのか。
辻内琢也氏はフクシマ型PTSDの正当性を主張しているうえに命名の当事者なので、第三者的な立場から「フクシマ型PTSD」について法令や倫理や公序良俗の観点から妥当かを問わなければならない。この事案では、早稲田大学における辻内琢也氏の研究の成果としてフクシマ型PTSDの概念が登場したのだから、同大学の規則、倫理観、公序良俗観が使用者責任として問われることになる。
なお大学とは研究者に研究室を提供する箱貸し業ではない。教職員が業務遂行上の過失で他者に損害を与えた場合、大学は使用者責任のもと賠償責任を負う。そして、辻内琢也氏の研究は早稲田大学の倫理委員会が承認しているから継続されているので、早稲田大学のコンプライアンスが問われて当然だろう。
辻内琢也・早稲田大学・三和書籍への対応