同性愛の気質があった三島は、意志の力で「女を好きになるぞ!」と決め、実際に結婚した。自分の力で運命を選ぶ点は宣長と同じで、いわば性的指向ガチャを拒否したわけだけど、そのとき自身の欲望を完全に押さえつけてしまうから、きわめてマッチョな発想になる。
しかし宣長はガチャとは闘っても、そっちの方向には行かない。むしろ正反対の「女性的」な性格の思想家だったと、先崎さんは述べる。
和歌研究の師匠だった賀茂真淵が『万葉集』の素朴な雄々しさを讃えたのに対し、宣長はむしろ人為的な約束ごとの多い『古今和歌集』を範とした。結果として真淵とは、絶縁寸前のケンカもしている。なぜか。
裸の本音をそのまま叫ぶ発想は、今だと露悪趣味のYouTuberがそうだけど、男性性のいちばんダメな部分と結びつく。だから宣長はむしろ、ガチャによる不条理ばかりのこの世界の中でも、葛藤し、折り合いをつけ、ネガティブさを抱えながら発された表現にこそ、美しさを見出した。古今集のほかは、『源氏物語』がそうであったように。
そもそもなぜ、古今集は編まれたか。編纂の背景には、「これに従えばすべて解決する」と説かれてきた、いま風に言えばグローバル・スタンダードへの信仰の、大崩壊があった。
寛平六年(894)の遣唐使の廃止ほど、〔当時の日本にとっての〕「西側」の普遍的価値の衰退と混乱を象徴した事件はない。唐の崩壊(907)は、古今和歌集勅命(905)のわずか二年後の出来事であり、大陸中心のグローバル・スタンダードはすでに限界を露わにしていた。 漢詩文の色眼鏡では、もはや目の前の世界を説明することはできないのであって、このとき日本人は、みずからの「ことば」によって、もう一度、混乱した「現実」に価値基準をあたえることを強いられたのである。