2021年に「親ガチャ」が流行語になり、賛否を呼んだのは記憶に新しい。しかし私たちは、規格化されたクローン工場で製造されて生まれるのではないから、ガチャがあるのは本来あたり前だ。
むしろ問題は、これを使えばガチャの「あたりはずれ」を均せると信じられてきた装置が、世界中で壊れてしまったことの方にある。
冷戦下には、①個人の実力競争でガチャを克服するアメリカ型と、②国家権力がガチャを上書きして消すソ連型があったけど、②は1990年の前後にダメになり、2000年代を通じて①も飽きられた。いつまでも代わりの装置が出てこないのに疲れて、みんなガチャガチャ言い出したわけだ。
そんなことを10/10(木)のイベントに備えて、先崎彰容さんの『本居宣長』を読みながら久しぶりに考えた。なぜなら同書は、宣長をなにより自分の「運命ガチャ」に抗った人として捉え、描きなおしているからだ。