そうであれば、「財政」は国民の「共同意志決定」にもとづくとの断言は難しくなる。それとも選挙による代議員が擬制的な「共同意志」を体現しているとの理解からの発言なのであろうか。

社会システムの「社会的アクター」

一般に社会システムを構成するアクターには、個人、家族、地域社会、企業、行政(国家と自治体)が想定できる。このうち個人は、地域社会のなかで未婚者と既婚者として社会システム構成員としての地位=役割を果たすものとする。そこには「同一の出生年次」により、「類似した状態」を与えられた特定世代に属する個人が層をなしている。

神野がいう「共同意志決定」とは、このようないくつものアクターのどこがどのように「共同」するのだろうか。端的には代議制度に基づく現今の個々の有権者による選挙制度がイメージされるが、それで構わないのか。

社会的アクターとしての企業と国家

経済システムに属する企業については、日本の企業従業者で7割を占める中小零細企業とグローバル経済の一環を担い続ける大企業の2種類に分けられる。とりわけ生産、流通、消費の経済活動においては、この両者にはそれぞれの特性があるから、主張にも違いが生じることも留意しておきたい。

また政治システムとして権力をもつ行政としては国家と自治体として、この両者が社会システムに果たす機能は大きい。

社会的アクターとしての家族

社会システムの根幹をなす家族は、たとえば三世代家族としての連関を持ち、祖父母、父母、本人もしくは兄弟姉妹として、それぞれの年次が30年程度異なる世代連関を示している。祖父母が昭和世代、父母が平成世代、本人もしくは兄弟姉妹が令和世代という組み合わせがその典型になる。三世代のいずれにも、「社会的・歴史的生活空間における特定状態」(マンハイム、1928=1976:174)を示している。

一般的に家族は世代連関から構成されてきたが、徐々に平均世帯人員が減少した結果、単身者と核家族の両面から社会システムアクターとして登場するようになった。ともに小家族化の引き金となっている。

神野論文での「家族」の位置づけ