「特定の病名推し」みたいな風潮は、変だと気づくきっかけは、色んなところにあったと思う。発達障害でいうと、2019年に起きた元農水次官の父親による長男の刺殺事件では、法廷で母親(妻)が息子を「アスペルガーに生んで申し訳ない」と証言して、波紋を呼んだ。
ひきこもりで通院困難だった被害者の診断歴は、かなり特殊で、最初は縁戚の医師が「統合失調症」と鑑別したが、新たな主治医が実際に会ったら「アスペルガー症候群」に変わったという。
統合失調症に比べれば、発達障害が知られて以降のアスペルガー(ASD)は「名乗りやすい病名」だろう。実際に、ギフテッドな有名人もいる。でも、そのことは本人も家族も、救わなかった。
10年ほど続いた「この病名ならキラキラしてるから、カミングアウトOK! さぁみんなダイバーシティ!」みたいなやり方を、ぼくたちはいい加減やめるときが来ている。でも、だったら代わりに、どうすればいいのか。
6月に対談した精神科医の尾久守侑さんの新刊『病気であって病気じゃない』は、ヒントになる本だった。尾久さんいわく、医師と通院者とでは、そもそも病名に求めるものが違っている。
医者の側は、片方の極に健康な状態、他方の極に(たとえば即入院が必要な)明白な病気を置き、中間の「病気とまでは言えないが、でも不調があるよね」というゾーンで、多くの患者を診る。
一方、メンタルが追い詰められて駆け込む側には、そんな余裕はない。なにより知りたいのは、「病気のせい」で自分がいまおかしいのか、そうではないから「自分のせい」なのかの二択だ。