「文明の生態史観」(1957年)に始まり『知的生産の技術』(69年)にいたる、梅棹流の――戦後の高度成長を肯定する――割りきった発想では「日本人であることの実存が抜け落ちる」と告発してきた〔のが福田和也の批評であった〕。

[1] 福田和也『遥かなる日本ルネサンス』、『近代の拘束、日本の宿命』文春文庫、1998年(原著91年)、60頁。

『平成史』文藝春秋、194-5頁 (強調部分が、福田氏からの引用)

(ヘッダー写真は、安保法制の頃かな? のインタビュー記事より)

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年9月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。