結果として、かつて差別があったという史実はかき消され、痕跡が残らなくなってしまう。つまり検閲・削除型のポリコレは、その本質として歴史学の敵なのだが、頭が悪くてそれを理解できない「歴史学者」は多い。
もっと大事なのは、森本氏も書いているように、こうしたジョークは本来、セリフの中でネタにされている「かつての被差別者」の末裔にこそ、大きくウケる。「自分たちは迫害されてきた」という過去の受難の歴史が、きちんと社会に存在を認められ、承認されることに価値があるからだ。
しかしここでも、「うおおおおお差別の表現はカット!」みたいなお子様(たまに博士号を持っていたりする)が湧いてくると、そうした記憶の継承が難しくなる。もっとも、世の中には「製作者自身が差別してるんじゃないの?」と見られても仕方のない演出を、ナチュラルにやっちゃう例もあって、両者が悪魔合体すると最悪だ。
判断に迷ったら、もし自分が差別された人たちの子孫だったときに、周りからどんな風に接してもらいたいかを、考えてみるとよいと思う。