新潮選書、149頁 強調を附し、段落を改変
初読の際に読み落とした理由は、2017年、うつからのリハビリの中で読んだこともあるけど、当時はまだ、日本に「第2次ポリコレ・ブーム」が来ていなかったのが大きい(第1次は平成初頭)。
『リバー・ランズ・スルー・イット』は、ブラッド・ピットの出世作として知られる1992年の映画で、今も人気がある(監督は昔「アメリカン・ニューシネマのブラピ」みたいな俳優だった、ロバート・レッドフォード)。
戦前とかならともかく、そんなごく最近(歴史家の感覚では)の作品でも、DVDを出す際に「はい、このシーン、いまはもうNGなんでカットで」と切り刻まれちゃうのは、結構ショックな話だ。
森本氏も「もちろんこれは、長老派というインテリ牧師から見た話」と補っているとおり、別に製作者が、メソジストやバプテストを差別しているわけではない。むしろ、かつては敬虔なクリスチャンの間でも、新興の宗派への差別があたりまえに行われる時代があった。
そうした時代の負の遺産を忘れないために「このお父さん、いいオヤジだったけど、いまから見るとやっぱ古いとこあったよ」という趣旨で、当時は自明視されていた偏見を、作中に書き込む。それがわかっているから、観客も見て笑う。歴史を踏まえた大人の鑑賞とは、そういうものだ。
ところが、今という時代の価値尺度を絶対視し、「これ差別発言じゃないスか! 差別するセリフが映画の中にあっていいんスか?」と騒ぐお子様な鑑賞者が増えると、それが通じなくなる。