■驚異の音は言語を超える
そんな頃、大学の試験のためにピアノ伴奏者を伴ってクラリネットのレッスンを受けに生徒が来た時の事、クラリネットの生徒が「先生、面白い研究してんのよ」って伴奏者に教えるものだから、面倒だと思いながらその子に聴かせることになったわけです。これが原音で、こっちがコンピュータで加工した音、と聞き比べをさせた。そうしたら、」
えーーすごい! と彼女が悲鳴を上げた。
音が全部わかるっていう。オーケストラの音でどの楽器がどの音を出して、と聞き分けることは難しいんですよ。メロディーラインと低音は解っても、その中に挟まれた内声を聴き取る事は難しいんです。それが全部わかるっていうんです。疑問に思って「楽譜にできる?」と五線譜を渡したら、見事に五重奏全パートを書いてしまったんです。
「これで出来上がっているのかもと」と、卒業を間近にした二人の生徒用にCDを作って渡し、聴いてみて変化があったら電話してくれと伝えた。すると一週間後、音の立ち上げリがクリアーに聴こえてきました」「音の語尾がぶっきらぼうに聴こえてきました」「抑揚が⋯」。次々と連絡があったのです。何が起きているのか。
「次に何が来るか、想像しているわけですよ。次、こうくるだろうなって。話をしていても、次にこういうことを言うなって予想しているわけです。音楽も想像の中で捉えているわけです。次にこうくる、その想像は国によって変わります。僕らがアメリカ人だったらジャズ。ジャズの耳で聞いてるわけですよ。ジャズだったらこうくるはずだっていう。しかしジャズは英語が作っているんです」
ワルツならウィーンなのでドイツ系言語、タンゴならアルゼンチンだからポルトガル語から生まれる。日本でクラシックが発生するかといえば、それはありえない。演歌がドイツで発生することもない。
「洋楽は日本語のリズムと違うから、日本人は洋楽が歌えない。日本語が作ってきた音楽っていうのは民謡、それから浪曲、その前は歌舞伎ですよ。ああいうリズムが日本語で歌いやすい。洋楽を日本人が歌えるように変えていったのが演歌ですよ。洋楽が入ってきて、日本の伝統音楽は行き詰った。昭和33年、浪曲師だった三波春夫が初めてバンドをバックに浪曲を歌った。死んだはずだよ、お富さんって。あれが演歌の始まりです」
音楽は言葉によって規定され、音楽は言葉から生まれ出る。傳田さんが得た耳とは、その文化的な制約から離れ、言語に縛られずに音を聴く耳だった。