■狂っているのは他人か自分か?
自分がバカにしていた他の音楽家は、実際は優秀だった。本当の音が聞こえていなかった僕がダメだったんだ……一途に真剣に取り組んできたことがすべて間違っていた絶望。
「半年ほど呆然としたまま過ごしてきて、半年経って初めて答えが出ないことから、それなら逆に考えてみようってね。もしこれが僕だけが聴こえてないとしたら?」
そうなるとベートベンもモーツァルトも本当の音が聴こえなかったことになる。それもまためちゃくちゃな話だ。
「とにかく古今東西全部、すべての人に僕が聴いた音は聴こえてなかったことにしようと」
大胆不敵というか、正しいのは俺で、間違っているのは世界だ……孤高の狂人である。
「それで音楽を全部考え直した。疑問点を上げていくと3000点ぐらい出てきた。それをひとつずつ考えていた。考えれば考えるほど、他の奴らは全員、俺の聴いている音が聴こえてないんじゃないか? としか思えなくなってくる。一年半ぐらい経った時に、じゃあなんで俺だけに聴こえてきたのだろうと初めて考えた」
なぜ俺だけが? この問題の根源にあるのは何だ?
「そんな時にですよ。ある日、駅の階段下った時、ものすごい痛みが右頭部から左脇腹に突き抜けたんですよ。激痛に息ができなくなって階段に座り込んでしまった」
雷に打たれたのかと思う痛みだった。
「ようやく歩けるようになって、階段を一歩下りたら、頭の中で声がするんです。ゲンゴって」
もう一歩歩いたら、ゲンゴ。何でこんなに痛い時に? ゲンゴってなんだ?
「階段を降りるとゲンゴ、降りるとまたゲンゴ。何なんだ、ゲンゴって。5段降りた時、気づいた」
ゲンゴって言語、言葉のことか!