焦りが目立つウクライナの行動から、最近では国際世論の動向もウクライナに冷淡になってきている。ウクライナ政府は、少しでもロシアに近づく国があれば間髪を入れず激しく糾弾する。自国の軍事作戦の停滞の責任を支援国の臆病さに見出し続ける。この姿勢は、外交的に見ても、持続可能性の高いものであるようには見えない。
私は、2022年当初から、次のように言い続けてきている。「軍事専門家は、ウクライナはロシアに勝てないと言う。歴史家は、ロシアはウクライナに勝てないと言う。双方が正しい。」
ロシアがウクライナを完全屈服させることは、不可能だろう。ウクライナの国家アイデンティティは、それを不可能にする程度に強固だ。しかしウクライナがロシア軍をいつか完全に屈服させる日が来る、と信じるのもまた、非現実的だ。どこかで必ず、二つの不可能の間で、現実の折り合いがつけられる。私は22年初めから、その観点から、戦争の終わらせ方について実際に論じてきた。
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このような私自身の見解を述べた後で、私が「ウクライナ応援団」の何について疑問を感じているのか、この機会に明らかにしておこう。ロシアの悪魔化、親露派マッカーシズム、勝利の至上命題化、の三つの観点から、考えてみる。
第一の論点は、ウクライナを応援することは、ロシアを徹底的に悪魔として描写することだ、と信じ切る姿勢である。もちろんロシア軍の侵略や戦争犯罪を断罪することは、国際法にのっとって正しいことである。しかしロシア全体を悪魔化し、戦争の目的を、悪魔の征伐と誤認してしまうような態度は、分析の目を曇らせる。
クルスク侵攻を称賛した人々の中には、「プーチンに一泡吹かせてやった」といったことを言いあって喜ぶ方々がいた。仮にプーチン大統領に何らかの精神的衝動を強く与えて政策変更を導き出すことが、ウクライナにとって合理的な目的追求になるのであれば、それは一つの合理的な政策手段として認められるだろう。私自身はクルスク侵攻がそのような手段であったという主張の妥当性は疑っているが。