この情勢の中で、ゼレンスキー大統領の言葉を日本語で拡散する役目を担っていた日本の「ウクライナ応援団」と揶揄されてきている方々は、今後どうするか。

私自身について言うと、2022年ロシアの全面侵攻開始後には、「降伏論」に異議を唱える言説を発表したことがある。それが橋下徹氏の目にとまって非難してもらったことから、私も「ウクライナ応援団」の一員だったとみなされることがある。

私は、現在でもロシアの全面侵攻の違法性と、ウクライナの自衛権行使の合法性、そしてザルジニー総司令官時代のウクライナの抵抗の合理性の評価については、立場を変えていない。

加えて述べれば、ウクライナ人の研究者との紛争解決に向けた共同研究も進めてきていて出版物も出し始めている。市民活動の面では、ブチャの国内避難民の子どもたちのためのアートセラピー活動支援にもかなり奔走した。

22年の降伏が妥当ではなかったことは、2022年の戦局を見れば明らかである。ウクライナは首都キーウに迫るロシア軍を排撃し、一度はロシア軍に占領されたハルキウやヘルソンを奪還した。ウクライナ軍は、2014年以降、事態に備えて準備してきていた。早々と降伏することが、倫理的にも戦術的にも妥当ではなかったことは、間違いなかったと思う。

しかしアメリカの大統領選挙の日程もにらんで開始した2023年の「反転攻勢」が成果を出せなかったところで、戦局の膠着は固まった。2014年以来、ウクライナの統治を離れたドンバス地方を中核とする東部地方の奪還は、著しく難しい。それも現実だ。

最近では、私は「ウクライナ応援団」を裏切ったかのように扱われることが多い。しかし現実を見るべきだ、と言いたいだけである。2年半前も、今も、そうである。成果が期待できるのであれば犠牲にも意味を見出せる。しかし、現実から目を背けて非合理的な作戦を繰り返し、不必要な人命の浪費していく行動は、正当化が難しい。