もし「プーチン大統領はショックを受けている」という根拠不明であるだけでなく、ウクライナの戦争目的の達成に何の意味があるのか不明な点へのこだわりが、「悪のロシアを少しでも苦しみを味合わせることは正義である」、といった感情に裏付けられているならば、非常に危険である。悪魔を征伐すること自体を目的とみなしてしまうと、本来の政策的目的に照らして合理性のない行動が、正しい善行として称賛されてしまう。結果は、非合理的な作戦行動の積み重ねだ。
第二の論点は、ウクライナを応援することは、親露派を炙り出し、糾弾し、社会的制裁を加えるために「犬笛を吹く」ことだと信じ切る姿勢である。
当初は、ロシアに有利なプロパガンダの拡散を防ぐことが目的だったのだろうが、運動が過熱し、特にロシアを擁護しているわけでもない人物をつかまえて、ロシア系の情報を見ている、ロシアに不利な情報の信憑性を疑っている、といったことだけで非難しようとしたりする。その姿勢は、党派的な発想にもとづくある種のマッカーシズムであると言ってよいだろう。
党派的言説は、党派的言説を喚起する。フォロワーを増やすことを至上命題にしてしまったら、その他の事柄は犠牲になる。
非常に危険なのは、東大の松里公孝教授のように第一級の研究者であり、かつてドンバス地方でも広範な聞き取り調査を行った稀有な経験を持つ人物を、ウクライナに不利な情報を信じている、といった理由で糾弾し、人格の否定につなげようとすることだ。松里教授のような貴重な研究者の業績を完全否定することは、冷静で客観的な情勢分析を阻害する。
実際のところ私は、かなり真面目な国際政治学者の方が、松里教授の実際の著作の内容ではなく、SNSにおける匿名軍事評論家の「犬笛」の言葉の方を信じて、松里教授は相手にしないといった発言をしているのを聞いて、衝撃を受けたことがある。
広範で精緻な分析を自ら禁じてしまうことによって、得られるものはない。偏狭な態度を見せることは、「ウクライナ応援団」の長期的な世論への働きかけにとっても、阻害的な効果しかもたらさないだろう。