一回目の復讐をするためにウサギがタヌキを呼び出す口実については1960年代後半まであまり描かれておらず、その描写のあるわずかな作品では「食べ物を口実に呼び出した」と描かれています。
その後の作品では食べ物だけでなく歌でタヌキを呼び出すパターンもあり、タヌキを呼び出す口実に関しては徐々に充実していったことが窺えます。
また江戸時代は一回目の復讐に関してはあまり大きく取り上げられておらず、あくまで後述する三回目の復讐がメインとして扱われています。
しかし時代が下るにつれて一回目の復讐の比重は増えていき、1970年代後半以降はタヌキが背負っている柴が燃えている様子が大きく描かれるようになりました。
さらに二回目の「火傷によく効く薬として唐辛子入りの味噌を塗る」という復讐に関しては、一部の作品ではしばしば省略されています。
しかし二回目の復讐が省略されている作品は江戸時代から現代まで幅広くみられており、時代によって大きく異なっているわけではありません。
三回目の「泥船に乗ったタヌキを水中に沈める」という復讐は、すべての時代において描かれているものの、詳細部分は時代によって異なっています。
江戸時代は泥船が沈んで助けを求めたタヌキに対して、ウサギは櫓(ろ、舟を漕ぐための道具)でタヌキを打ちつけて殺しています。
しかし大正時代に入るとタヌキの死因は溺死へと変わっていき、ウサギが自らの手でタヌキを殺す展開は減っていきました。
さらに1950年代に入ると、タヌキが謝罪してウサギが溺れたタヌキを助けるという展開も登場しました。これは先述した戦後改革による昔話の殺人描写の省略の一環によるものであるとされています。
タヌキがおばあさんを殺す展開が無くなったことにより、それに対する復讐としてウサギがタヌキを殺すのは流石にやりすぎであると考え、ウサギは最終的にはタヌキを助けるようになったのです。
このようにカチカチ山の作中内の描写は時代によって大きく変わっていき、残虐な描写や唐突な展開は少しずつなくなっていきました。