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猛暑の後は台風ですが、いかがお過ごしでしょうか。日頃やや堅苦しい話が多いので、今回は「箸休め」として、身近な(プライベートな)話題を取り上げさせていただこうと思います。いささか恥さらしのような部分もありますが、気楽にご笑覧くだされば幸いです。

人生100年時代に

さて、昭和12年(1937年)生まれの私は馬齢を積み重ねて来年の1月で満88歳になります。日本人の平均寿命が大幅に延び、「人生100歳時代」などと言われる今時珍しいことではありませんが、正直私自身は、よくここまで無事に長生きしたものだと驚いています(たとえば60年近く前には、ベトナム戦争に巻き込まれて危うく殉職しかかったことは本欄で何度か触れたとおりです)。

私の父は、私が米国在勤中の1965年暮れに突然脳卒中で亡くなりました。63歳でした。母は不慮の交通事故に遭い、その約3年後に88歳で亡くなりました。だから私もなんとなく、70か80歳くらいまでは生きるだろうが、それで終わりだろうと思っていました。親しい友人や知人の多くはすでに泉下で眠っています。

一方、私自身は今まで比較的健康に恵まれ、大きな病気や怪我をして病院の世話になった経験がないので、病気や医療のことについてはとんと不案内で、その方面の常識的な知識が甚だしく不足していると感じています。その意味では「無病息災」より、むしろ「一病息災」くらいの方が良かったかもしれません。勿論、そんな勝手なことを言えるのは、五体満足、丈夫な体に生んでくれた両親のおかげで、遅ればせながら感謝していますが。

いずれにせよ、そういうわけで、この年になるまで、自分自身の老後についてあまり深く考えたことはありませんでした。つまり、「老いる」とは実際にどういうことか、そしてそれにどう順応していくべきかということを、自分自身の問題として真剣に考えたことはなかったということです。

チップス先生の居眠り