ロシアの侵略によって始まった戦争で、ウクライナの側を応援したくなるのは人として当然だ。まして新たな兵器が到着し、勝利は確実とする希望的な観測が語られれば、ますます視聴者は「それ以外の考え方はあり得ない」「違うことを言う者は非国民」という空気に飲まれてゆく。

そうした俗情と結託するかぎりで、「その瞬間」にバズり支持される発言は、誰にでもできる。まして本人が「専門家」の肩書を提げている場合、誰からも異論や批判が来ない環境――もし来ても「人格攻撃!」とだけやり返せば、即座に周囲が馳せ参じてくれる状態が作られがちだ。

視聴者があらかじめ「これだけが正解!」と決め込み、「その感じ方でいいですよ」と学者がお墨つきを与えるとき、実際には専門家が民意のロンダリング装置と化しているだけで、知性も学問も死んでいるのだが、多くの人はリアルタイムでは気づかない。だから時間が経ち、前提となる民意自体が変わって初めて、結果に愕然とする。

東野氏と投稿者氏の間の論争は以前の拙稿も参照

「自粛が正解!」と思われた新型コロナ、「打つのが当然!」と信じられたワクチン、「叩かれてあたり前!」なキャンセルカルチャー。そうした他者感覚を喪失させる熱狂の連鎖の中に、冷静に戦況を分析すべきウクライナの専門家も溺れていたことが、今日の事態をもたらした真因だ。

だから、自然科学・人文学に続いて社会科学の「専門家」の信用を失墜させつつある、東野篤子氏がすべきことは明白である。

Twitterの鍵を開け、noteでも「自分のファン」に向けて強がる池乃めだかのような発信をやめて、謝るべき相手に謝罪し、TVでのまちがった言動を訂正することだ。周囲もまたそれを促すほかに、学者の矜持を保ってこの戦争を終える道はない。