東野篤子「関西風のロシア・ウクライナ停戦論」 サムネイル シン・停戦論 東野篤子(シャンパングラスを前に) 「負けてないって思わせておかないと、実際に戦争が終わらなかったりするから、私よく言ってるのが、ロシアは池乃めだか的に終わってほしいっていう、もうボコボコになって『これぐらいにしといたるわ!』みたいな(聞き手の笑い)。それぐらいしかロシアの矜持は保てないと思うんですよ、本気で私はそれ思ってるんですよね。 やろうとしたことをやれなかったし、何なら後退したかもしれない、だけどもうボコボコになってまでも『こんぐらいにしといたるわ』って言えなきゃ、やっぱりロシアは終われないと思うんですよ。 で、あの、それって結構、池乃めだかを知らないポーランドとかバルトの人々でも(聞き手の嬌声『知ってたらビビるわ!』)、どんなにボコボコにしても、なんかこの方面では勝ったんだっていうのが1つくらいないと、とにかく言わせておかないと、そういったドラマ、ストーリーを作っておかないと、ロシアは終われないってのはちょっとあると思ってる。だから出口を見つけるとしたら、どういう池乃めだかを作るかっていうことなのかもしれないんですよね。 (中 略) どこを戦勝品として持たせるのかっていうことを考えると、やっぱりお土産論って無理があり過ぎるんですよね。だけどお土産がないと池乃めだかももしかしたら成り立たないのかもしれないし、お土産なしの池乃めだかってすごい外交的な戦略が必要なのかなって思うと、ちょっと頭痛いですよね。何かこうミラクルがないとっていう話なんで」
強調は引用者
こうしたノリを、進行中の戦争を論じるにふさわしくない不謹慎なものだと思う自由も、逆に深刻な話題を和らげる卓抜なヒューモアだと感じる自由も、私たちにはある。ただし、前者の感想を抱き表明した人に対し、「後者だけが正しい感じ方だ」としてリンチで攻撃するよう煽る自由は、誰にもない。そんなことは、自由社会の常識だ。