ここで言及されている裁判では「慰安婦は性奴隷か否か」は判断していませんが、歴史史料上で奴隷と叙述されていた者の境遇を分析すると、一般に想像されているようなものよりもかなり幅広いものである、という指摘はその通りです。
16~17世紀の歴史の研究者である岡氏が「歴史学上の奴隷の概念」とやらに照らして裁判所の判決について怒りを示すことは、それ自体はどうでもいい。そのような考え方は実社会とは隔離されたものである、という常識が重要なだけです。近代的な人権概念に基づいた国家運営が為されていなかった17世紀までの認識を20世紀に当てはめるというのもおかしな話です。
現実世界では本稿の序盤に示したような国際法に照らして国家主体は動き、外交におけるオフィシャルの見解を構成しますし、現代の日常の国語とも乖離した実態を想起させる表現をすべき理由はありません。
まとめ:政府オフィシャル・外交上は国際法に基づき議論しているので民間も倣え日本軍慰安婦は出身が内地であれ朝鮮半島や台湾であれ、ほとんどが当時の日本国民でした。1920慰安婦問題を語るとき、この視点は忘れてはなりません。21
本稿で示したように、政府オフィシャル・外交上は国際法に基づき議論しています。
民間もこれに倣えば良いと思いますし、具体的な慰安婦の状況を示した史料もWEB公開されているもので多数あるのだから、それを用いて理論武装していけば良いのではないでしょうか。
1:Slavery Convention | OHCHR 2:1953年に改正され1955年7月7日の議定書によって発効⇒Protocol amending the Slavery Convention New York, 7 December 1953 3:1926年の奴隷条約の改正条約 Slavery Convention, signed at Geneva on 25 September 1926 and amended by the Protocol | 人権に関するデータベース | 人権ライブラリー 4: 5: 6:内地出身日本人女性も意思に反して連れ去られる例があり社会問題化していた⇒共同通信ヘイト問題取材班 「歴史改ざん主義者に対する抵抗」「慰安婦文書を掘り起こした」 – 事実を整える 7:反日種族主義 李栄薫233頁「日本軍慰安婦制度は、一八七〇年代に日本が施行した公娼制を土台にして生まれたものです。その公娼制が、一九一六年に挑戦に移植されました…朝鮮王朝時代に女性に強要された貞操律は、あくまでも両班身分の女性が対象でした…賤民身分の女性たちは、両班身分の男性たちから至るところで性暴力を受けていました。日本から移植された公娼制は、このような性支配の歴史を土台にして根づき、発展したのです…さらに、日本軍慰安婦制度は一九四五年の日帝の敗亡と共に跡形もなく消え去ったのではありません。慰安婦制度は一九六〇年代まで、韓国軍慰安婦、民間慰安婦、米軍慰安婦の形で建材であり、むしろ発展しました。」 8:反日種族主義 李栄薫262頁「朝鮮人慰安婦の総数は、おおよそ三六〇〇人でした。一九四一年、国内で活動した娼妓、酌婦は九五〇〇人でした。満州、台湾、日本、中国で活動した娼妓などもその程度で、全て合わせて一万九〇〇〇任でした。そのうちの三六〇〇人が日本軍慰安婦でした。…多くの研究者が指摘しているように、慰安婦制は、公娼制を後方部隊とし、その一部を前方に配置したのと同様なものでした。」 9:『①女性と雇用主の「酌婦稼働契約」+②親と雇用主の前借金=「金銭消費貸借契約」を親と雇用主とで取り決めていた。』 10:大審院大正10年9月29日判決:ただし、①と②は独立関係という建付けだった。 11:最高裁第二小法廷昭和30年10月7日判決で①と②は対価関係、密接不可分であるから、①が無効なら全体が無効になる、とされた。 12:芸娼妓契約の法的効力 山中至 13:慰安所の設置は要請されていたが、ガイドラインを無視したものだったため公的なものではないということ 14:自由権規約委員会の総括所見(CCPR/C/JPN/CO/6)に対する日本政府コメント⇒ 15:裁判所は「ヘ―グ陸戦条約」と呼ぶこともある:平成14年3月29日判決言渡平成8年(ワ)第3316号⇒ 16: 17:ラムザイヤー論文非難「慰安婦75%死亡」主張の根拠ページに「数字はデタラメ」と明記 – 事実を整える 18:第155回国会 参議院 内閣委員会 第2号 平成14年11月5日○政府参考人(渥美千尋君)128 渥美千尋 19:日本政府の調査では他に中国人、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人が居た。 20:慰安婦関連歴史資料 デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金 21:ラムザイヤー教授の論文が学業不正と主張する研究者|Nathan(ねーさん)