NAM参加国と「グローバル・サウスの声サミット」の参加国は、かなりの程度に重複している。安全保障理事会に継続的に席を持たないインドであるからこそ、NAMでの存在感もいかして、国連の場に「グローバル・サウスの声」123カ国の意見を持ち込む代表として行動することには、強い関心があるだろう。
ただしインド政府は、「サミット」で、慎重にNAMに言及することを避けている。後述するように、NAMに属していながら、「サミット」に招かれてない国があるからだろう。そこは正確に理解しておく必要はある。
気をつけなければならないのは、日本では、一方的な思い込みと偏見により、かなり根本的なところでの「グローバル・サウス」の誤解が広まっていることだ。勝手な思い込みと偏見で、インドがやっていることを理解したつもりになったり、否定したりしてみせるのは、百害あって一利なしだ。
昨年のG7広島サミット準備段階から始まった、「中身は何だかよくわからないが、とにかく片っ端から、グローバル・サウスは大事だ、と唱えておく」ことを良しとする日本政府の姿勢には、私は極めて批判的である。戦略的ではない。有力国に失礼ですらある。
ところが政府に相乗りして、そのまま中身なく、「最近はグローバル・サウスなるものが大事だということになっているそうなので、とにかくグローバル・サウスは大事だ、と唱えておこう」式の日本のマスコミの風潮があることにも、辟易としている。
ただし、私は特にインドに批判的なわけではない。インドがやっていることの意味は、むしろ誰よりも声高に唱えたいくらいだ。インドは、国際事情をよく知ったうえで、自国の外交政策の中で「グローバル・サウスの声サミット」を位置付けている。
私が批判的なのは、何も知らず、考える意図もないまま、「とにかく最近はグローバル・サウスが大事だと唱えたほうがいいと政府が言っているので、わが社でもグローバル・サウスは大事だと唱えることにした」という態度をとっているような日本人に対してである。