民事でスラップ訴訟の概念が普及し、「訴える方がやり過ぎでは?」と疑念を招く例が増えても、まだまだ刑事があるぞと意気込む人もいるらしい。

かつて戦時下の日本で、好きに作戦だけ起案して責任は負わない「参謀無罪」の体制が国策を誤らせ、巨大な惨禍をもたらした。しかしそれを告発する人は、官憲の手で弾圧され、黙らされた。

いま、まったく同じものが「専門家無罪」のメディア環境として立ち現れている。それと闘おうとしない人が語る戦争も、平和も、言論も、学問も、私たちは信じるに値しまい。

戦後民主主義の下で学んだものとしては、そうした現状をなるべく「平和裏に」変えたいと願っているが、もしそれが不可能だとわかるなら、そのときはあらゆる手段の採用を躊躇しない。

「オープンレター」が再来する気配がある。 このnoteの記事は、おおむね論壇サイトの「アゴラ」にも載せてもらっており、後者で読む人の方がおそらく多い。ところが、国際政治学者の東野篤子氏をめぐる先日の記事について、アゴラへの転載版が「Facebookでシェアできない」事態が生じているそうだ。 アゴラとしても、Fac...

いつでもこちらは和戦両様で、準備を万端整えている。適切な仲介者を得て、この間の「専門家の誤り」をきちんと歴史に位置づける、平和へのサミットが開かれることを望みたいと思う。