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葛飾柴又の魅力2. 柴又帝釈天参道
葛飾柴又の魅力3. 柴又帝釈天こと経栄山題経寺
葛飾柴又の魅力2. 柴又帝釈天参道
映画で出てくるのは駅から帝釈天に向かう小さな参道です。柴又駅から帝釈天までの200mばかりの通りですが、「帝釋天参道」と書かれた参道には昭和の懐かしい雰囲気が残っています。
映画の聖地として盛り上がっていることもありますが、やはりここは柴又帝釈天の参道として、江戸時代の門前町の雰囲気が色ごく残っています。戦火を逃れた老舗店も多いため、街並みに軒を並べるお店の看板などに重みを感じます。
そして古い老舗に混じって映画の影響でできた新しいお店があり、常に活況づいている参道ですが、特ににぎやかなのは年に6回ある庚申の日でです。江戸時代、9代住職の日敬という人にまつわるエピソードがあり、江戸から多くの人が帝釈天の存在を知り、庚申の日に参拝客が増えたといいます。
どうしてもお店が気になる参道ですが、参道の中には意外なものを見つけました。参道の入り口あたりに、渥美清と書かれた石碑があります。寅さんを演じた渥美さんの名前とその横に寅さんの口上が山田洋次監督の直筆が刻まれています。
葛飾柴又の魅力3. 柴又帝釈天こと経栄山題経寺
男はつらいよの映画でも重要な存在なのが柴又帝釈天です。笠智衆が「御前様」と呼ばれる住職を演じました。正式名称は経栄山題経寺という日蓮宗の仏教寺院です。
柴又帝釈天は、1629(寛永6)年に開創されました。、禅那院日忠と題経院日栄のふたりの僧の手によるものです。ちなみに帝釋(釈)天とは仏教の守護神の天部のひとつで、ヒンドゥ教では雷神インドラ神と呼ばれるものです。日本には仏教伝来の頃から伝わっており、庚申(かのえさる)の日を縁日とするのが習わしです。
柴又帝釈天正面にある門は1896(明治29)年に建立された二天門です。平安時代作の二天(広目天、増長天)像がいて、大阪堺市にある日蓮宗寺院の妙国寺から寄贈されたと伝わります。
門をくぐった境内正面にあるのは帝釈堂で、入母屋造瓦葺で拝殿都内殿から構成されています。現在の拝殿は1929(昭和4)年、内殿は1915(大正4)年に完成したものです。
帝釈天の境内の中には意外なものがあります。瑞龍のマツと呼ばれる松で、柴又帝釈天開基と深いかかわりがあります。僧の日栄が柴又に来たときに松を見つけ。下に霊泉が沸いているのを見つけたので、庵を設けました。それが柴又帝釈天の始まりと言われています。
龍が天に上るかのようにまっすぐ上に伸び、そこから南北に出ていて、あたかも帝釈天を守護するように伸びていいます。
柴又帝釈天は彫刻が素晴らしいことでも有名です。優良ですばらしい彫刻が見られる「彫刻ギャラリー」があります。加藤寅之助ら10人の彫刻士が手がけたもので、1922(大正11)年から1934(昭和9)年にかけて10面を浮き彫りにした作品が見られます。浮彫の内容は法華経の中でも代表的な10の説話が選ばれて視覚的にわかるようになっています。
彫刻ギャラリーとセットで回れるのが大客殿と庭園です。大客殿は本堂の裏にある建物で、1929(昭和4)年に完成しました。入母屋造の瓦葺で、左右に細長く建てられているのが大きな特徴です。
その前に池泉式庭園が広がっており、邃渓園(すいけいえん)という名前で、1965(昭和40)念い永井楽山が設計して作庭されました。屋根付きの廊下から庭の様子がじっくりと見られます。
- 経栄山題経寺(柴又帝釈天)
- 住所:東京都葛飾区柴又7丁目10-3
- TEL:03-3657-2886