「蓄妾(ちくしょう)は男の甲斐性」と言われたように世間的に成功し経済的に豊かな男性が第2、第3の夫人とのあいだに子どもを持つことがなかば公認されていたことを示しています。

日本社会は非常に価値観の変化が遅く少ないように見えて、ときとしてがらっと変わることがあります。第二次世界大戦後、アメリカ軍による実質的な占領体制のもとにあった日本社会で一夫一婦制以外の男女関係に対する社会の眼が非常にきびしくなりました。

1947年にはまだ3.8%あった婚外子の出生率が、1950年代初めには1%を割りこむまでに減少していました。男女の平等性という意味ではもちろん大きな前進だったと思います。

ですが、当時は第二次世界大戦末期に自暴自棄的な特攻作戦に動員された若い男性たちが大勢亡くなったこともあり、極端に若年層での男女比がアンバランスになっていました。

とにかく平和な経済復興のためには少しでも早く人口を増やさなければならない時期に、幸運にも結婚できた若いカップルには、できる限り早く大勢子どもを産んでほしいという暗黙の社会的要請が、「寿退社」とか「第1子出産退社」といった女性の就労慣行を生んだのでしょう。

「日本の男性就業者は非常に神経を酷使する仕事をしているので家計の管理まで引き受けることができない。だから妻に子どもを産み育てることと同時に家計を管理してもらいたいので、妻が長時間にわたって仕事をすることを嫌がる夫が多かった」という説もあります。

次のようなデータを見ると、こうした議論にも根拠がありそうに思えます。

しかし、これはやはりこじつけでしょう。妻を家に閉じこもらせるための口実として「家計を管理してもらうという重要な任務がある」ことにしたのではないでしょうか。

とにかく、女性は結婚・出産と同時にキャリアの追求はあきらめ、子育てが一段落してから職に就こうと思えば低賃金のパートしかないという就労環境がいったん慣行として定着してしまうと、あらゆる職業に従事する勤労者に対する賃金・待遇の下方圧力が生じます。