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ヨタハチだけじゃない、意欲的な「コンバーチブル」も登場
1966年の800cc化でようやく真価を発揮するもカローラの影が
ヨタハチだけじゃない、意欲的な「コンバーチブル」も登場
もうひとつトヨタが力を入れたのがスポーツ路線で、パブリカをベースに脱着式トップを与えた空力ボディの「トヨタスポーツ800」(1965年)を発売する一方、パブリカにも1963年10月、フルオープン4人乗りの「パブリカコンバーチブル」を追加しました。
ダイハツ コンパーノスパイダーや、ホンダの「S」シリーズなど同クラス車がラダーフレーム上のボディを載せ替えていたのに対し、軽量モノコックボディのパブリカをフルオープン化し、ツインキャブで武装したコンバーチブルはなかなかの意欲作です。
元がパブリカで、レースなどではヨタハチ(スポーツ800)が活躍したこともあって、後世まで名車として名を残すほどの存在にはなりえていませんが、パブリカの「シンプルすぎて貧乏くさい」というイメージを払拭するには、役立ったものと思われます。
1966年の800cc化でようやく真価を発揮するもカローラの影が
1966年4月、デビューから約5年を経てビッグマイナーチェンジを受けると、特に前後デザインは大きく変化してイメージチェンジするとともに、エンジンも800cc化されてライバルに並び、1967年9月にはヨタハチと同じツインキャブ45馬力版「パブリカスーパー」も追加。
当時のユーザーが「最初からこういうクルマが欲しかったんだよ!」と言ったかどうか、ようやくユーザーが待ち望んだ姿になったパブリカですが、1966年11月には初代カローラが「真の国民車」として登場、初代日産 サニーともども「マイカー元年」の扉を開きます。
1.1リッターエンジンを積んで高性能、パブリカより装飾や装備も充実した「デラックス」で、デザインも新しいカローラに対し、パブリカは35.9円のお買い得な「1,000ドルカー」(※)を発売。
(※当時は1ドル=360円の固定レート)
基本設計が古いクルマのお化粧直しでしたが、2代目パブリカへモデルチェンジする1969年4月まで、安さを武器に販売を続けました。