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上昇志向のユーザーに対し、挑戦が空回りしたトヨタ
やはり当時の売れ筋はライトバン?
上昇志向のユーザーに対し、挑戦が空回りしたトヨタ
パブリカはフロントに強制空冷・水平対向2気筒エンジンを積むオーソドックスなFR(フロントエンジン・後輪駆動)レイアウト、独立トランクを持つ2ドアセダンで、それだけ見ると「普通に走っていいクルマなんじゃないの?」と思えます。
ただし丸目2灯ヘッドライトとその下の左右ウィンカー、その間にポッカリ開いたフロントグリル、ボンネットは平板でサイドから見てもリアで跳ね上がるキャラクターラインが一本のみと、これまたシンプルな内装を含め、「味も素っ気もない」と思われたようです。
今なら「シンプル・イズ・ベスト」という人がいるかもしれませんが、いずれにせよメッキパーツのひとつもなければ「地味」の一言で、時代を問わず日本では支持を受けにくそうなデザインなのは、間違いありません。
トヨタとしては「安い国民車として極限までコストを削ったのに…」と思ったかもしれませんが、当時のユーザーとしても、「そこまでしてこのクルマに乗りたいと思わせる要素」に欠けていました。
やはり当時の売れ筋はライトバン?
それなら多少裕福なユーザーはコロナでもブルーバードでも、1〜1.2リッター級セダンに乗りますし、そこまで余裕があるでもないユーザーが必要としたのは、平日は仕事に、休日はファミリーカーとして使えるライトバンです。
パブリカも1962年6月にライトバンの「パブリカバン」、1964年2月にピックアップトラックの「パブリカトラック」を追加しますが、その頃は初代マツダ ファミリアやダイハツ コンパーノなど、800cc級の大衆向けライトバンやセダンが登場しています。
パブリカもそれに対抗し、メッキパーツや大型バンパーを装着、車内装備も充実を図った「パブリカデラックス」を発売、700~800cc級の大衆車市場が車種増加で盛り上がる中、ようやくパブリカも販売が上向いてきました。