注目すべきことに、ハース大使は、学生と政府の対立が激化した7月に、突如、理由が不明のまま、大使を辞任して、バングラデシュを脱してしまった。後任大使の見通しが全くない中での辞任であり、突然の決断であったことがうかがえる。政変の動きが関係していなかった、とは想像できない。

アメリカの動きは、確かに怪しい。学生層が政治運動の中心で、移行政権の受け皿として即座にユヌス氏の名前が浮上したという経緯も、外部勢力の介在の推察と矛盾ない形で理解することができる流れではある。

他方、アメリカに、バングラデシュで決定的な影響力を行使できるような実力があると想定する者は、いないだろう。少なくとも、アメリカが今後のバングラデシュを安定化させる力を持っていると考える者は、皆無だろう。もしアメリカが今回の政変を後押ししていたとすれば、非常に近視眼的で無責任な態度だ。

インテリ学生だけではなく、バングラデシュ社会の隅々に浸透しているイスラム過激主義の影響も、今回の政変の背景にあることが、すでに相当に明らかになってきている。インドの影響下にあったとみなすハシナ政権関係者を嫌う政変劇の流れが、イスラム主義者によるヒンドゥー教徒の迫害を引き起こしている事例が、多々報道されている。

反政府運動の側の人々が、パレスチナの旗を振る姿も、多々見られる。イスラエルに親和的とされるインドのモディ政権のヒンドゥー至上主義が、ガザ危機をめぐるイスラエルへの嫌悪と重なり、親インド的なハシナ前首相の政権への嫌悪に心情的にはつながる。

より具体的には、ハシナ政権下では活動禁止されたが、かつてBNP政権時代には合法組織だったことがあるジャマーアテ・イスラーミー(Jamaat-e-Islami)の復権と台頭が予測される。南アジア全域に分派を持ちながら確固たる勢力を誇るイスラム原理主義勢力だ。