三者の真意はおそらく、残念ながら東京都を真剣に良くすることではない。この注目の選挙戦を通じて知名度を上げ、存在感を示し、別の形での自らのプレイアップを目指すことである。

いずれ国政に返り咲いて総理を目指したいという小池氏、知名度を上げて自ら市長をしていた安芸高田市のある広島県の来年の知事選などが本命であろう(元々都知事選で勝てるとは思っていなかったはずの)石丸氏、このところ落ち目で、参院選での得票の減少傾向などに焦りを感じ、知名度を上げて衆院選への鞍替えなどを考えていた蓮舫氏。

この三氏にとっては、今回の都知事選は、格好のPRの機会であり、その初期の目的は見事に達成されたと言っていいが、残念ながら、有権者たちは置いてきぼりだ。あたかも、お祭りの様相で、「選挙祭り」でどう目立つかが全てで、本当はそこが政策実現上肝心なはずの「宴の後」はほぼ関係がなくなってしまっている。

各地と都会の逆転現象/パブリックセクター全体の劣化

まだ、地方選挙においては、極端なPR合戦化が進んでいない面もあり、政策立案力、実行力・実現力に溢れた立派なリーダーが選出され、目を見張るような成果を収めている例も散見されるが、東京や横浜、大阪や名古屋などの大都市では、選挙は完全に極端なPR合戦となっており、選出される首長のレベルの低下が著しい。

かつては、こうした都市の首長は政策立案力、実現力に満ちた教養人が務めていたこともあったが、失礼を承知で言えば、最近は、謎な方が選出されたり、目立ったりするケースが激増してきているように思われる。

「当選してから実力を発揮するタイプ」は、得てしてPR力よりも、中身を重視してしまうため、メディアの存在感の大きい大都市での選挙では特にPR型の候補者に勝てなくなってきている。最近では、立候補することすらしない。こうして、「とても優秀な方」が田舎の知事や、地方都市の首長をつとめ、「一般企業であれば、すぐに馬脚が表れて通用しないであろう方々」が、何故か大都市の首長などを務める、という国家的に見た人材のリソース配分的には、逆転現象が生じている。